大判例

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東京高等裁判所 昭和63年(ネ)4225号 判決

ところで、指定自動車教習所においては、所定の種々のコースを備えた設備が設けられ、運転免許を受けようとする多数の教習生のために、同時並行的に技能の教習が行われている(このことは公知の事実である。)。したがって、技能指導員としては、自ら自動車等を運転する場合にあっても、また、教習生運転の自動車に同乗している場合にあっても、「交通の方法に関する教則」(昭和五三年国家公安委員会告示第三号)に則り、他者(車)との共存、思いやりの精神に基づき、自ら道路交通法規を遵守するはもとより、教習生に対し道路交通法規を遵守して運転するよう指導しなければならないが、単に自ら道路交通法規に忠実であるだけでは足らず、常に、運転技能に習熟せず、学科も十分習得していない教習生が運転する他車が走行していることに留意し、道路交通法規に従わないで走行する車両のあることをも予想し、他車の動静に十分な注意を払い、急ブレーキ等咄嗟の措置を怠らないようにして事故の発生を未然に防止する義務があるといわなければならない。

前記認定のとおり、市川は、本件交差点の手前で一時停止し、<ア>地点付近に本件交差点に向かって南進している控訴人車を発見したのであるが、たとえ大通りにおける自動二輪車の速度が内部規定により時速最高三〇キロメートルと定められていたとしても(原審証人市川はそのように供述する。)、直線コースでもあり、控訴人車が時速四〇キロメートルで走行することが市川にとって全く予測することができなかったということはできないから、市川としては、左方の控訴人車の動静に十分注意を払い、場合によっては控訴人車が本件交差点を通過するのを待って市川車を発進させるべきであったといわなければならない。しかるに、市川は、自車が先に交差点を通過できるものと軽信して川村をして発進させ、しかも左方を十分確認しないまま進行して衝突するに至ったものであり、市川に過失があることは明らかである。

他方、控訴人についても、前記認定のとおり、大通りは見通しのよい直線道路であり、<B>地点付近から立体交差点入口付近までも見通すことができたのにかかわらず、控訴人は、大通りに入ってからおよそ時速四〇キロメートルで進行し、本件事故直前まで市川車に全く気付かなかったというのであるから、大通りが優先道路として設定されていることを過信し、他車の動静に全く留意することなく、前方の注視を怠ったものといわざるを得ない。控訴人が前方を注視して運転をしていたならば、市川車の進行に気付き、速やかに速度を落とすかあるいはハンドルを操作して容易に衝突を避けることができたのであるから、控訴人にも過失があるというべきである。

2 そこで、両者の過失割合について検討する。

右に説示したところから明らかなように、市川の過失は、自車と控訴人車の速度の計測を誤り、市川車が先に交差点を通過できると軽信したこと、進行中控訴人車の動静を確認せず、咄嗟の措置がとれなかったことであるのに対し、控訴人の過失は、他車の動静に全く留意せず、前方注視という基本的な注意を怠り、咄嗟の措置がとれなかったものであること、また、市川車は教習生の川村が運転しており、助手席に補助ブレーキがあるにせよ、市川において自由に自動車を操作できない不便さがあるのに対し、控訴人車は控訴人が自由に操縦していたものであることを勘案するならば、両者の過失の割合は、控訴人が六割、市川が四割と認めるのを相当とする。

(山口 根本 安齋)

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